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歴史に触れる

おけさ源流の地

出雲崎おけさ唄
 

おけさ源流の地
遠く建久の昔、奥州丸山の領主佐藤庄司元治の未亡人、源義経の忠臣として活躍した佐藤継信、忠信兄弟の母「音羽御前」が源義経に従い、兄継信は屋島の合戦で、弟忠信は京都で討死したことを悲しみ、せめて戦場の跡を見ようと旅立ちました。ようやく出雲崎にたどりつきましたが、先の長い旅を思い断念し、大字尼瀬の釈迦堂(現在の念相寺の前身)で尼僧となり2人菩提をとむらっていたときの建久元年(1190)に、愛児が立派な最期を遂げたという詳報を聞き、嬉しさのあまり、尼僧達と袈裟法衣のままで唄い踊ったのが始めと伝えられています。「袈裟」が「けさ」「おけさ」となり、後年これが「おけさ」の源流となったと伝えられています。
それに九州牛深のハンヤ節が廻路などにより伝わり、調和されて定着したものが「出雲崎おけさ」として今に伝わっていると云われています。

[所在地] 出雲崎町大字羽黒町(碑設置場所)
[駐車場] 30台

勝見稲荷堂

勝見稲荷堂
文治2年(1186)勝見浦に上陸した源義経を見送った静御前と佐藤継信・忠信の母、音羽御前がこの地に留まり、建久元年(1190)一宇を建立し、義経公の兜の守り神である源九郎稲荷咤枳尼尊天を安置したのがはじまりです。この他にも源義経の北の方が蛇崩れで悪蛇を降伏させたとか、長尾爲景が戦勝の悦びに賓塔を納めたとか、様々に言い伝えられています。文久元年(1861)朝廷より正一位を贈られました。

施設情報

[所在地] 出雲崎町大字勝見951
[問い合わせ先] TEL:0258-78-4395

多聞寺

多聞寺
真言宗豊山派で出雲山と称し、神亀2年(725)行基の開基と云われています。本尊は上杉家の護佛である毘沙門天で、天正年間国主上杉謙信以来代々上杉家の本陣が置かれました。上杉家は小木ノ城を狼煙の中継地点として持ち、当時この地方を治め、出雲崎から佐渡征伐のため何度か渡航しています。このお寺には、承久の帝(順徳天皇)が佐渡の配所で施し黒木御所に拝祀されたと伝えられている菅公像が安置されています。また、天正15年(1587)景勝公が往還の都度滞陣の折、住職に大変世話になったことから何ぞ望みはないかと問われました。住職は僧侶の身分、何も望むものはないと答えたところ、さらば白紙を遣わすから後年何ぞの場合には望みを認めて申し出よと『白願書』を住職に与えました。これは町指定文化財(町指定書第1号)となっております。

施設情報

多聞寺白願書(複写)[所在地] 出雲崎町大字石井町592
[問い合わせ先] TEL:0258-78-2464
[備考] 白願書は実物門外不出、写し本堂に有り。拝観は予約が必要です。

石油記念公園

石油記念公園

出雲崎町は古代から石油が発見されています。最初に文献に記載されているのは、天智天皇が即位された668年に越の国から「燃ゆる水」と「燃ゆる土」が献上されたと『日本書紀』に記されており、その献上地については『日本石油史』(昭和33年刊)には、大字吉水草生水ほか2ヶ所があげられています。明治23年(1890)12月日本石油㈱が米国の綱掘機械購入して海岸の福田泉と名づけられていた手掘井の上に設置して、掘削をしたところ翌24年(1891)4月噴油を伴い、成功をおさめました。石油界、学界、官界ではこの成功井跡を石油産業発祥地(世界初の海底油田掘削地)として顕彰し、記念公園を整備しました。昭和41年(1966)3月新潟県の文化財に指定され、同年8月ペンシルベニア州タイタスビル市にあるドレイク井記念公園と姉妹公園の提携をしました。現在の公園は平成18年に整備されたものです。

施設情報

[所在地] 出雲崎町大字住吉町6-3
[駐車場] 135台
[備考] 近代化産業遺産認定(公園内R-1号ポンピングユニット)

綱堀式石油井戸C-2号

綱堀式石油井戸C-2号

宝田石油会社(後に日本石油㈱と合併)が掘削した「綱掘式削井機の2号井」で明治30年5月23日から昭和60年12月1日まで使用されて、抗内の深さは649.45mで、付近にはC-9号(T7.5.23採油開始)C-10号(T8.8.10採油開始)がありました。この削井機は明治23年に尼瀬の日本石油㈱が米国から最初に輸入(C-1号)した機種と同型で、それまで手掘りによる浅層採油だけに頼っていました。掘削方法は、蒸気機関を動力とするウオーキングビームの上下運動により、ロープに吊るされたビットが坑底を衝撃して掘り進むもので、これを契機に石油業の近代化が始まりました。尼瀬油田の最盛期は、明治22年~31年の10年間で手掘り井戸も含めて多くの井戸があり、明治27年では日産16,910Lでした。しかし昭和26年には日産44L、昭和60年には日産9Lとなっていきました。一方天然ガスは日産3,000L㎡噴出していました。なお、現在のC-2号は廃坑作業後に昭和62年施設保存のために、同じ場所で地下部を密閉し、井戸芯を9m残した状態で櫓とポンピングパワーを復元したものです。

施設情報

[所在地] 出雲崎町大字尼瀬729-1
[備考] 近代化産業遺産認定

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